[PR]
第三章
目覚まし時計のアラームで目が覚めた。岡島和也は、我に返ると、今日は一時限目から大学の授業があることを思い出した。変な夢を見ていたが、内容はすでに思い出せない。
彼は自室を出ると、台所の冷蔵庫から筋肉注射のアンプルを取り出した。肩に自己注射をする。薬液の量を前回より増やした。段々薬が効かなくなってきてる。昨日は教室へ入るのが怖くて授業を受けることができなかったのだ。図書館で、本棚に囲まれた奥の机で一人泣いていた。
ーー僕はもうすぐ廃人になるんだ。
多くの病院を占拠している、パニックウィルスが発症した患者と同じ末路を辿るのだ。不安や恐怖心に追いたてられる時間の中で、突然の恐慌状態に襲われると、身体が凍りついたように動けなくなる。
いつか、この薬液も効かなくなると、昏迷状態へと入りこむのだ。パニックウィルスに罹患した末期の患者を病室で見たことがある。蝋人形のようにベッドの上で固くなっていた。しかしその心の中は恐怖で凍りついているのが和也にはわかっていた。
自己注射した後、使い捨ての注射器を医療廃棄物の中へ捨てた時、ドアが開いて妹の真野が台所へ入ってきた。彼女は金色の瞳と、濡れた海藻のような黒緑色の髪をしていた。
真野の髪と瞳は思春期になってさらに常人とは違う色へと変化してきた。そして髪に隠れた頭蓋からは、小さな突起、角が出ている筈だった。
無言のまま真野は朝食の準備を始めた。二人の母は一年前にパニックウィルスで死んだ。祖父の死は二年前だった。
TVも新聞も暗いニュースばかりだ。蔓延したウィルスで死んでいく人々。自暴自棄になって犯罪を犯す人々。いつもどこかで起きている暴動の数々。
それでも日課のように大学へ通う自分。将来への希望はなかった。和也のささやかな希望、同じ大学に在籍している恋人の美音に会うことだった。そして、万に一つの奇跡を待っている。パニックウィルスの特効薬が開発されて元の自分の身体に戻ることを。
父の敬一は奥の部屋で眠っていた。真野が冷蔵庫からとりだした卵をフライパンの上で割った。和也はいつものように食欲がない。コーヒーを飲むだけだった。医師である父に伝えようかどうか迷う。確実に自分の体内をパニックウィルスが侵していることを。後どれくらいの日数、薬液が効いてくれるかわからない恐怖。
真野が和也の座っているテーブルの前に皿を置いた。真野の金色に輝く瞳を見ると苛立ちがつのった。
ーー不気味な鬼子。こいつらはウィルスに罹患することはない。空気感染するウィルスのキャリアになっていない人類などいないのに。
真野は小学校の時から不登校で、高校を一年で休学したまま家に居た。
和也は美音に早く会いたかった。彼は席を立って玄関へ向かった。車庫の車を動かすと、倉敷から岡山市内へ向かう国道へ入った。朝渋滞することで有名な国道へ入った。いつも朝渋滞するこの国道も、三、四年前から車の数が減ってきている。毎日ニュースで発表される死者の数。人口が減ってきている。人類にとりついたウィルスの潜伏期間は十五年から二十年。潜伏期間は個体の免疫力によって差があった。
PR
- トラックバックURLはこちら